「みんな一緒」の違和感

昔から飲食店でランチを食べるたびに、不思議に思うことがあります。

それは、一人前の料理の量がほぼ決まってること。

定食のごはんの量を変えたり、大盛りサイズやレディースセット的なものはあるけど、基本的には一人前は一緒。

食べる人の職業や性別や体格や基礎代謝量などは全員違うのに。

お店側がそんなに細かいカスタマイズに対応してたらオペレーションが回らなくなることは(僕も飲食店を経営してましたし)よくわかってるし、多ければ残すという方法もあるけどなんかもやもやするんですよね。

と言いながら、もやもやの原因はわかっていて

ランチに関わらず、僕は、子供の頃からいろんなものに対して「提供する側の論理で決まってる」ことに違和感みたいなものを感じるから。

その最たるものが学校教育。

小学校は6年間、中学と高校は3年間、大学は4年間みたいに決まってるのが不思議でした。

何かを憶えたり何かができるようになる速度はみんな違うのに、時間割りは決まってる。

みんなより早い人もいれば遅い人もいるんだから、時間割を取っ払って、早い人は先に進めばいいし、遅い人は時間をかけてできるようになるまでやればいいのにと思ってました。(ざっくりとした話なので、飛び級とか補講みたいな話は置いといてくださいね)

これも、一人ひとりに合わせてたら学校教育そのものが成り立たないというのもわかるし、無茶なことを言ってる自覚もあります。

ただ、自動車教習所みたいに、免許を取るという目的が明確だと、(生徒によって)免許試験に合格するまで通う時間(費用も)が違うような「学校」もありますよね。

で、そろそろ本題に入ります(前置き長っ!)。

今回伝えたかったのは

(自分の本質的な才能を見つけて活かすことで幸せになれるという前提で)本質的な才能を活かそうとするとき、みんなに合わせる必要はないということ。

もっというと、みんなと同じ時間軸で生きる必要はないってこと。

平均すると5年かかりますと言われたことを、1年でやってもいいし、10年かけてもいい。

大事なのはどれだけ時間をかけるかじゃなくて、才能を活かして幸せになることですから。

誰かと比べたり誰かになろうとするんじゃなくて、自分の本質的な才能を活かすことだけを考えて試行錯誤を繰り返してたら、ふと気づくと幸せな未来に立っていた。

僕は、そんな自分だけのストーリーを歩むのがハッピーな人生なんじゃないかと思うし(試行錯誤しながら)実践中です。

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